塩顔系チワワ☆パルと過ごす北海道大家さん生活

股関節めちゃ柔らかい♂チワワのパル君。長崎生まれ、北国旭川ですくすく育ちました!

大家さん業は天職?間取りオタクの私

なぜか子供のときから不動産が好きだった。

 

新聞に挟んであるチラシの、マンションや建て売りの戸建ての外観、間取りを見るのがものすごく好きで、何度も何度もみてはここにこんな家具を置いたら素敵だなぁとか、このダイニングルームは、東向きの窓なら気持ちのいい朝日が入ってきて、素敵な朝食が出来るのに、とか、今考えてもちょっと不思議な子供だった。

 

うちは別に特に貧乏でもなく、親は普通に閑静な住宅地に一戸建てを建てていたし、小さい時から自分の部屋を与えられ、小物やぬいぐるみを飾ったり、好みの柄のベッドカバーを買ってもらったり、住居で不自由したり我慢させられたりしたわけではない。

 

なぜか、間取りや外観のデザインを見るのが異常なほど好きだったのだ。

 

大学進学で東京に出た時も、部屋探しが楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

 

一緒に不動産屋さんを回ってくれた父に無理を言って、まだ完成前の新築物件に決めた。

東高円寺駅から5分で、大学からは新宿乗り換えになったが、ピカピカのワンルームが本当に嬉しかった。

 

インターネットもない時代、なかなか私の気に入った物件がなかったので、足が棒になるほど歩き回って物件を見て、父も疲れ切ったのだろう。予算を超えていたが、その新築物件でいいよと諦めの表情で認めてくれた。

 

東京は、当時は敷金二か月礼金二か月、手数料、前家賃で計6か月分の金額が必要なため、なかなか簡単には引っ越し出来ない。

今も似たようなものか。

旭川では敷金礼金ゼロゼロは珍しくない。

 

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先日ブログに書いたが、OYOの進出は本当に黒船襲来、あっという間に全国に広がっていくだろう。

OYOの世界観、戦略に感激して思わず、是非北海道進出を!とメールしてしまった。

返事はすぐ来た。

北海道にも進出出来るよう努めてまいります、との事。

OYOのスピード感ならそう遠くない時期のような気がする。

 

 

大学卒業後、某国内航空会社の客室乗務員として就職が決まり、横浜の大倉山の古い社員寮に入っていたこともある。エアコンもなく、各階のフロアに公衆電話が一台だけ。私は5階だったがエレベーターもなかったので、寮までの坂道をヒールの靴で登ってクタクタ、さらに5階までで、足に筋肉がつき、今とは違い筋の入った美脚になれたのは思わぬ副産物。

 

お金を貯め、2年で寮を出た。

 

家賃補助もあったので、駒沢公園の近くに1LDKの部屋を借りた。周りにはオシャレなお店が多かった。

 

バブル時代、夜中にタクシーで帰ることも多かったが、なかなかタクシーは捕まらないし、しかも246号線はいつも工事をしている上交通量も多く、渋滞渋滞でウンザリだった。

 

それでもやはり、簡単には引っ越し出来ないので、賃貸情報誌を見ながら、こんな部屋いいな、引っ越したいなぁ、と夢想していた。

引っ越しするあてもないのに、住宅情報誌はしょっちゅう買っていた。

 

結婚のため、地元に戻って来る事になり同時に家を建てたが、東京に比べ地元の地価の安さに驚いた。

当時より今は更に地価は下がっている。

地方はみんな似たり寄ったりだろう。

今後、全国で地価が上昇するのは限られた地域だけになるだろう。

東京ですら2極化するはずだ。

 

大好きな不動産でお金を稼ぐ事が出来るようになったのは嬉しいが、これからは情報に敏感に、そして戦略的に進めていかないと大変なことになる。不動産業界だけに限らないと思うが。

 

全てが2極化、格差が出来てくる。

情報が全て。

 

 

ただ、人口減少の未来に怯えることなく、トレンドに敏感に、戦略的に買い進めて行こうと思う。

幸い、旭川は空港のある街。観光地の美瑛、富良野とも近い。民泊にも適している地域だ。

 

いろいろな可能性を考えながら、大好きな大家さん業を拡大していきたい。

 

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赤ちゃんパル

 

 

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